大坪命樹

こんにちは、大坪命樹と申します。

筆名の由来は、一枚の感銘を受けた絵画に基づいています。私が作家活動を実際的に始めたころ、東京では20世紀最後の大公開ということで、バーンズコレクション展が、国立西洋美術館で催されていました。その展覧会に感銘を受けたか受けなかったか、美術かぶれになった私は、休日さえあれば東京の美術展覧会に赴きました。実際、不断にストレスでこころの傷を負っていた私は、美術の多くに癒されていました。

そんなときに出逢ったのが、ルネ・マグリットの絵画でした。その静謐な絵画空間と不思議な画材構成とから感受される思索的澄瑩美は、私のこころの中に強烈に印象付けられました。そして、その中でも自分で題名の意味を探って、興味深かったものを選んで、筆名の着想としたのでした。

その絵画とは、「絶対の探求」というものです。あいにく、スペースの関係上、このページに載せることは出来ませんが、大きな一本の樹木が、枝条を細やかに伸ばして、全体として一枚の葉っぱの形になっているという絵画です。この枝の伸びようは、あらゆる可能性を試して、その結果として絶対形の一葉を為したというふうに、私は考えました。そして、自分の人生もそうありたいと思ったのです。

そして、「迷い就る」という意味の「迷樹」という名前を付けました。つまり、はじめは「大坪迷就」という名前だったのです。それが、ある時、持病を悪くして精神病院の隔離室に強制入院させられた時に、ほかにすることもなく、いろいろ考えていたら、筆名も変えたくなってしまい、「大坪」姓を捨てて「耕」という苗字にして、「迷樹」も「めいじゅ」繋がりでかつ、もとの絵からあまり離れない、より直感的な命名の「命樹」という字を充てるようになったのです。その後、「耕」が別れた彼女からもじってつけた名前だったので、親とも仲直りした意味も込めて、本名の「大坪」姓に戻したのでした。

私は、上述のように、統合失調症です。発症当時は、精神分裂病と言っていました。富山で生まれて普通に受験勉強していましたが、高校三年生の秋にまるでわざとのように発症し、なんとか受かった大学が東京の大学だったという理由で、浪人する根性も無く運命にもてあそばれるままに、上京しました。東京では、大学・大学院・会社員・フリーターと遍歴して九年間住んでいましたが、なかなかうまく生活することが出来ず、錦を飾ること無く逃げ帰るように故郷に舞い戻りました。

作品は、26歳くらいの時に書いた「6」がもっとも初めに、まとまった量の作品として出来た小品であり、そののち「眼」「夜バス」「鞭と人参」などを、当時長崎で活動していた全国公募の文学同人コスモス文学の会に応募しました。そして、二度コスモス文学新人賞奨励賞を戴きました。

しかし、それ以降は仕事や生活に追われ、なかなか執筆も儘なりませんでした。言い訳になるかもしれませんが、「路傍の石」の一節に、「箸は二本、ペンは一本」という言葉が出てきますが、まさに結婚を目指して仕事を精勤していると、なかなか創作まで手が回りませんでした。これは、統合失調症を抱えてのことだったのでなおさらでした。

そして、アラフォーになって入院し病状が回復して寛解すると、同時に結婚に失敗もしたのですが、陰性症状も和らぎ俄然執筆意欲も湧いてきて、少しは多く作品を書けるようになりました。全部で21作書いているうちの17作が寛解後の作品です。

現在は、年二回、商業賞に応募しています。これからも、このペースで書いていくつもりなので、よろしくお願いします。